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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)7280号 判決 1974年5月30日

原告(反訴被告) 今泉貞

右訴訟代理人弁護士 山根二郎

同 山根伸右

被告(反訴原告) 柳梅吉

右訴訟代理人弁護士 中野富次男

同 山口不二夫

主文

一  被告(反訴原告)が、別紙目録記載の第五の土地について、普通建物所有を目的とし、期間昭和二七年四月一日から三〇年の賃借権を有することを確認する。

二  原告(反訴被告)の請求および被告(反訴原告)のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、原告(反訴被告)の負担とする。

事実

(双方の申立)

〔本訴〕

一  原告(反訴被告。以下、単に原告という。)訴訟代理人は、「被告(反訴被告。以下、単に被告という。)は、原告に対し、別紙目録記載の第一の建物(以下、本件建物という。)を収去して、同目録記載の第二の土地(以下、第二の土地という。)を明渡せ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、

二  被告訴訟代理人は、主文第二、三項同旨の判決を求めた。

〔反訴〕

一  被告訴訟代理人は、「被告が、別紙目録記載の第三の土地(以下、第三の土地という。)について、賃料は一か月金八〇〇円毎月末日払、普通建物所有を目的とし、期間昭和二七年四月一日から三〇年の賃借権を有することを確認する。原告は、被告に対し、同目録記載の第四の板塀および竹垣を撤去せよ。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決および右撤去を求める部分につき仮執行の宣言を求め、

二  原告訴訟代理人は、「被告の請求を棄却する。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求めた。

(双方の主張)

〔本訴〕

一  原告訴訟代理人は、その請求の原因として、(一)東京都荒川区西日暮里三丁目一一〇三番一一宅地一五七・〇七平方メートル(四七・五一坪)は、原告の所有であるが、原告は、昭和二七年四月一日被告に対し、右土地のうち本件建物の敷地を、賃料一か月金八〇円、期間は右契約の日から一〇年、被告が右地上に所有する本件建物を増改築するときは原告の承諾を得なければならないとの条件で賃貸した。(二)本件建物は、大正七年頃建築されたものであるが、被告は、その後約四〇年を経た昭和三二年一〇月頃、原告が被告の改築の申入を拒絶したにもかかわらず、これを無視して、本件建物全体をジャッキで持ち上げ、木材でできている土台を全部取り払い、高さ三〇センチメートルのコンクリート土台にするとともに、柱五本(別紙図面(二)記載の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)の計五か所にあるもの。)を全く新しいものに取り替え、瓦葺屋根全体をトタン葺とし、建物外側の羽目板を巾八センチメートル、厚さ四ミリメートルの真新しいものに張り替え、床も新しいものにするという大改築を行なった。かように工事が強行され、建物を原状に復することが不可能になったことにより、賃貸借を継続することができる信頼関係は、根底から破壊されてしまったというべきである。そこで、原告は昭和三二年一〇月頃被告に対し、改めて催告をすることなく、右無断改築を理由として右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、右意思表示は、その頃被告に到達したから、右賃貸借契約は終了した。(三)仮に、右解除の主張が認められないとしても、昭和三二年一〇月頃被告によって改築される以前の本件建物の状態は、土台、柱、羽目板、屋根、床等の腐朽がひどく、とくにその土台は、その地面に接する部分が木材でできていたため、腐朽の程度も一段と激しく、建物全体が前傾し、そのままでは倒壊するおそれがあった。本件建物は、大正七年頃建築され、すでに五五年を経過しており、建物の現状からみて、被告が昭和三二年一〇月頃の前記改築をなさなかったとするならば、本件建物は、すでに、腐朽により倒壊するか、もしくは到底居住しえないものとなっていたはずである。そこで、右賃貸借契約は、本件建物の朽廃により終了した。(四)仮に、右主張が理由がないとしても、原告は被告に本件建物の敷地を賃貸したものであるが、被告は、原告の承諾を得ないで、昭和二八年一〇月本件建物を訴外柳ヒデに譲渡し、柳ヒデは、昭和二九年六月三〇日その所有権移転登記を経由した。かくて被告は、右土地の賃借権をも柳ヒデに無断譲渡したものであるから、原告は、昭和四七年七月一五日の本件第一六回口頭弁論期日において被告に対し、右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。したがって、右賃貸借契約は、同日限り終了した。(五)被告は、第二の土地を占有している。(六)よって、原告は、被告に対し、本件建物の収去と第二の土地の明渡とを求めるため本訴請求に及んだと述べ、抗弁を争うと述べた。

二  被告訴訟代理人は、答弁として、請求原因の(一)は認める。ただし、賃借土地の面積は争う。右無断増改築禁止の特約は、建物の維持保存に必要な修繕をも禁止するものではない。もし、かような禁止をも含むとすれば、借地法一一条により無効である。同(二)のうち、本件建物が大正七年頃建築されたものであることは認める。また、被告が次のとおり工事をしたことは認めるが、その余の工事は否認する。すなわち、(イ)もともと本件建物の土台は、直接地面に接する木材でできていたのではなく、玉石のうえに建てられていたのであるが、被告は、原告所有の建物に面する部分の玉石の土台を取り払い高さ約三〇センチメートルのコンクリートの土台とした、(ロ)柱は、別紙図面(二)の(ハ)(ニ)の箇所の柱二本を取り替え、(イ)の柱一本と(ロ)の柱一本に抱き柱を一本ずつ添えたのみである、(ハ)本件建物の二階部分の屋根を瓦葺からトタン葺に改めた(一階部分の屋根は、もともとトタン葺であった。)、(ニ)羽目板の全部を新しいものに取り替えたのではなく、従前の羽目板でも使用できるものは利用している、(ホ)床板は、一か所節穴が生じたので修理した、(ヘ)右のような工事は一四日間で完了し、その工事費用は、金六四、三四五円(内訳は、人夫手間賃金一八、三七五円、材木代金三〇、〇〇〇円、屋根代金一五、九七〇円)に過ぎない。大改築とはいえないのであって、建物の保存に必要な修繕というべきである。そして、被告が修繕の申入をしたのに対し、原告は、大改築は困るというのみで、修繕は拒否しなかった。その余は否認する。仮に、原告の明示の承諾がなかったとしても、原告は、本件建物に近接した建物に住み、右工事の事実を熟知しながら、右工事期間中もその後も異議を述べず、また被告が昭和三二年一二月三一日に、同年七月分から一二月分までの賃料金四八〇円を支払った際、原告はこれを異議なく受領したから、黙示的に承諾していたものというべきである。同(三)のうち、本件建物が大正七年頃建築されたものであることは認めるが、その余は否認する。同(四)のうち、原告主張のように、昭和二九年六月三〇日本件建物について原告主張のような所有権移転登記が経由されたことは認めるが、それは、被告が、昭和二七年三月二九日本件建物を前所有者訴外高城ケイほか五名から買い受けたのであるが、妻訴外柳ヒデから、名義だけでよいから同人名義にしてもらいたいと懇請されたので、柳ヒデ名義で所有権移転登記を経由したにとどまり、本件建物の所有権を柳ヒデに移転したり、土地の賃借権を同人に譲渡したりしたことはない、その余は否認する。同(五)は争う、被告は第三の土地を賃借しているのであると述べ、抗弁として、仮に、柳ヒデに対する賃借権の無断譲渡が肯定されるとしても、柳ヒデは、新聞で登記名義が真実の所有権者と一致しないときは、賃貸人に対する契約違反となることを読んだので、昭和四一年五月一〇日本件建物の登記簿上の所有名義を被告に移転し、所有権の所在と一致せしめた。前述したような諸事情であるから、右賃借権の無断譲渡行為は、賃貸人である原告に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情がある場合に該当し、解除権は発生しないと述べた。

〔反訴〕

一 被告訴訟代理人は、その請求の原因として、(一)被告は、昭和二〇年一〇月三一日訴外高城寛雄から本件建物を借り受けたが、その敷地は、第三の土地の範囲であった。(二)被告は、昭和二七年三月二九日所有者高城ケイほか五名から本件建物を買い受け、昭和二七年四月一日原告から第三の土地を普通建物所有の目的で、賃料一か月金一六〇円毎月末払、期間は契約の日から一〇年と定めて賃借し、その後賃料は、一か月金八〇円に減額されたが、昭和四三年一一月分から被告が一か月金八〇〇円に任意増額して現在に至っている。(三)しかるに、原告は、右賃貸借契約を終了させようとして、昭和四二年頃不法にも第三の土地内であって本件建物の軒下にある所に右建物に近接して、別紙目録記載の第四の板塀および竹垣を設置した。(四)よって、被告は、原告に対し、前記賃貸借契約による賃借権の確認と右賃借権に基づいて右板塀および竹垣の収去とを求めるため本件反訴請求に及んだ、と述べ、その余の主張は、本訴におけると同様であると述べた。

二 原告訴訟代理人は、答弁として、請求原因の(一)は不知、同(二)は認める、ただし、賃貸土地は八坪である、同(三)の板塀および竹垣を原告が設置したことは認めるが、その余は否認する、同(四)は争うと述べ、その余の主張は、本訴におけると同様であると述べた。

(証拠関係)≪省略≫

理由

第一本訴について。

一  原告の、無断改築を理由とする賃貸借契約の解除の主張について考える。請求原因の(一)の事実は、被告が賃借した土地の面積の点を除き、当事者間に争いがない。また、同(二)のうち、工事の具体的内容の点はしばらく措き、被告が、昭和三二年一〇月頃本件建物に工事を施したことは、当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すれば、被告が昭和三二年一〇月頃原告に対し、本件建物を修繕したい旨申入れたが、原告は、修繕をしてはいけないと答えて、右申入れに対し異議を述べたこと、それにもかかわらず、被告は、その翌日から工事をはじめ、後記二に認定のとおり、土台の取替え、柱の取替えその他の工事を行なったことが認められる。右認定をくつがえすに足りる証拠はない。しかし、土地の賃貸借契約に増改築禁止の特約がある場合でも、賃借人において、地上建物の建物としての効用を維持する範囲で、その古くなったり破損したりした部分に修繕を加えることが、右特約に違反し債務不履行になるとは解されない。そして、本件において、被告がした前記各工事は、その態様からみて、原告のいう改築には当らず、修繕の範囲に属するものに過ぎないというべきであるから、被告に右特約違反の責はなく、信頼関係が破壊されたという原告の主張は、採用することができない。そのうえ、原告は、昭和三二年一〇月頃被告に対し、無断改築を理由に賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたと主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。原告の右賃貸借契約解除の主張は理由がない。

二  原告の、建物の朽廃による賃貸借契約の終了の主張について考える。前述のとおり、本件建物の敷地は(その範囲はしばらく措く。)、原告が昭和二七年四月一〇日被告に対し、期間を一〇年と定めて賃貸したのであるが、右期間の定めは、借地法一一条により無効であって、同法二条一項により期間は三〇年となる。そこで、本件建物が、右期間内に、朽廃の状態に達したか、または、朽廃に至るべき状態であったかについて検討する。

本件建物が大正七年頃建築されたものであることは、当事者間に争いがない。また、被告が昭和三二年一〇月頃原告に対し、本件建物を修繕したい旨申し入れたのに対し、原告が異議を述べたこと、それにもかかわらず、被告がその翌日から工事をはじめたことは前認定のとおりである。右各事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  本件建物は、大正七年頃建築された木造瓦葺二階建居宅一棟床面積一階二四・七九平方メートル(七・五〇坪)、二階一五・七〇平方メートル(四・七五坪)であって(ただし、別紙図面(二)記載の(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ロ)の一階部分の屋根は、トタン葺である。)、用材の一部には古材を用い、土台は、一部に玉石を置いたほかは、地面に直接材木を置いた程度の粗末なものであった。

(二)  被告は、終戦後訴外高城寛雄から本件建物を借り受け、次いで昭和二七年三月同人の相続人高城ケイ他五名から右建物を買い受け、みずから小修繕を加えつつ居住してきたが、昭和三二年一〇月頃までの間に、土台の材木はほとんど腐朽に近くなって用をなさなくなり、建物全体がやや北に傾き、瓦屋根や羽目板などから雨水が漏る状態になった。

(三)  そこで、被告は、従来と異なり、かなり大巾な修繕をしようと考え、昭和三二年一〇月頃原告に対し、その旨を申し入れたが、原告は、これに対し、修繕をしてはいけない旨答えて異議を述べた。しかし、被告は、その翌日から、大工二、三名を使って予定どおり右修繕工事を行ない、約二週間で終了した。その工事は、次のごときものであった。(1) 別紙図面(二)記載の(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(リ)(ヌ)(イ)の各点を結ぶ線には、高さ約三〇センチメートルのコンクリートの基礎を打ち、その上に新しい土台を置き、その余の部分の土台も新しい材木に取り替えた。(2) 別紙図面(二)記載の(ハ)(ニ)の柱は新しいものと取り替え、同(イ)(ロ)の柱に各一本宛の抱き柱を添え、(ロ)(ヘ)ほか一本の柱にはトタンを巻いた。(3) 二階部分の瓦葺の屋根をトタン葺とした(この点は、当事者間に争いがない。)。(4) 建物の周囲の羽目板は、その大部分が痛んでいたので、その一部分を再使用したほか、新しい用材を用いて修理した。(5) 床板も古くなり、一部には穴も開いたので、約半分を新しく取り替えた。おおよそ以上のとおりである(≪証拠判断省略≫)。

右認定の事実によれば、本件建物は、大正七年に建てられた粗末な建物であって、昭和三二年までに四〇年近く経過しており、土台はほとんど腐朽し、建物は傾き、全体としてかなり老朽化していたことは窺われるけれども、なお建物としての社会的経済的効用を保持していたものであって、借地法二条一項但書にいう「朽廃」には達していなかったといわなければならない。そして、原告の異議にもかかわらず、前認定のとおり修理が加えられたのであるが、仮に、右修理がなかったとすれば、本件建物はいつ朽廃に達したであろうかについては、これを明確に推断するに足りる証拠はない。しかし少なくとも、本件口頭弁論の終結した昭和四九年当時に朽廃に達したであろうと断ずることは困難である。

それゆえ、原告の、朽廃による賃貸借契約の終了の主張は理由がない。

三  原告の、賃借権の無断譲渡による賃貸借契約の解除の主張について考えるに、原告主張の賃借権の譲渡を認めるに足りる証拠はなく、却って、≪証拠省略≫を総合すれば、被告は、昭和二七年三月高城ケイ他五名から本件建物を買い受けるとともに、同年四月一日その敷地(その範囲は、しばらく措く。)を原告から賃借したが(右賃借の事実は、当事者間に争いがない。)、妻訴外柳ヒデから本件建物の登記簿上の所有名義のみは同人名義にしてほしい旨請われたので、昭和二九年六月三〇日柳ヒデ名義で前記売買による所有権移転登記を経由したものであって、何ら実体上本件建物を柳ヒデに譲渡したものではないことが認められるから、原告の右主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  被告が、第二の土地のうち、第五の土地を除くその余の部分を占有していることを認めるに足りる証拠はない。

第二反訴について。

一  本訴について説示したところによれば、被告が、原告に対し、本件建物の敷地について(ただし、その範囲は、しばらく措く。)、普通建物所有を目的とし、期間昭和二七年四月一日から三〇年の賃借権を有することは、明らかである。右賃借土地の範囲について考える。≪証拠省略≫を総合すれば、東京都荒川区西日暮三丁目一一〇三番一一宅地一五七・〇五平方メートル(四七・五一坪)は、もと訴外冠某が所有し、訴外日沖某がこれを賃借してその一部を高城寛雄に転貸し、同人が同所に本件建物を所有していたこと、被告が右建物の所有権を取得し、原告が被告にその敷地を賃貸することになり、土地賃貸借契約書が作成され、同契約書には、賃貸土地として「宅地八坪」と表示されているが、それは、本件建物の登記簿上の一階の床面積「七・五〇坪」にほぼ匹敵すること、右「八坪」の記載は、実測の結果によるものではなく、原告が従前の土地転貸人である日沖某から敷地は八坪位である旨を聞いて書いたものであること、被告は、右記載に異議を述べることなく、賃料は一か月坪当り一〇円合計八〇円宛支払い、その受領を拒絶されてからも、昭和四六年八月分までは賃借土地を二六・四四平方メートル(八坪)として算出した金額を供託してきたこと、従来、右宅地一五七・〇五平方メートルの同一土地内で本件建物の東南側に原告所有の建物があったが、両建物の間には何ら賃貸土地との境界を示すものがなく、原告が同部分を自由に通行していたこと、以上の事実が認められ(≪証拠判断省略≫)、右認定の事実に基づいて考察すれば、被告が賃借した土地は、別紙目録記載の第五の土地の範囲であったと認めるのが相当である。被告本人尋問の結果によれば、被告は、かつて本件建物の裏側(南側)の出入口から表側(北側)の道路に出る際、原告所有の建物との間を通行していたことが認められるけれども、それは、原告がその通行を黙認していたものであって、土地の賃借権が、原告主張のように、建物の外側〇・四五メートルに及んでいたことを示すものではない。他にも、右認定を動かすに足りる証拠はない。

なお、被告は、現在賃料が一か月金八〇〇円毎月末日払いの約であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない(≪証拠判断省略≫)。

二  右のとおりであるから、被告が、右賃借権の及ばない土地に存在する別紙目録記載の第四の板塀および竹垣の撤去を求める請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

第三結論

よって、原告の本訴請求を棄却し、被告の反訴請求は、賃借権確認の請求を右理由のある限度で認容するほか、すべて棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田洋一)

<以下省略>

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